2017年12月28日木曜日

孤独について。

昨日テレビで五木寛之さんが、孤独について述べられていた。彼は孤独に生きる事の重要性を語っていましたが、僕も同じ様な事を常に意識し考えています。

僕の自論では、孤独に生きるとは裏を返せば、自由に生きる、と言えるからです。例えば、自分はもはや孤独なんだと諦めると、とたんになんのしがらみも無くなる訳で、何をも気になる事が無くなる。自由に発想でき、自由に行動も可能になる。

例えば、他人から何か自分をバカにする、軽んずる様な態度を目の当たりににしたとしても、もはや自分は孤独に生きるんだ!という覚悟があればほとんど気にならないだろうし、別の角度からみると、義務教育だって、学校は中学までは行くべきだという雰囲気の中、僕は孤独に生きるんだ!と言うませた子供がいたとして、その子にとって学校はもはや重要なものでは無くなる。学校に行かなければならないと言う事から解放される。つまり孤独とは一般的にネガティブな印象が強いですが、意外とそうでもなく、むしろ自由をその人に与えるとも言える。

我々はみんなと仲良くしよう!力を合わせて!一丸となって、絆、などと言う言葉をポジティブなイメージとして教育を受けてきた。しかし逆に残酷な裏側もはらんでいるとも言える。

若者の自殺などはほとんど、その様なポジティブな思想に対するプレッシャーによるものだと僕は思う。友達に無視される。など確かに残酷、絶望的です。しかし人間は本来孤独に生まれ生き、孤独に死んで行くものだと、仮に教育されていたならば、まだ友達から無視された事も少しは楽に感じれるのでは、と思う。「みんな仲良く」「皆んなで一緒に食事」と言う言葉と思想は裏にはその様な残忍性が有ると思うのです。

では何故皆仲良くしなければいけないのか、何故孤独であってはいけないのか、については、そもそも歴史は古く、人間が農耕をしだした、一万年前にさかのぼる。それまでの狩猟採集生活では大勢の人の力が必要でなかったのに対し、農耕が開始されると、1人で作業するよりある程度の人が集まって作業した方がより多く安定的に収穫出来る訳です。

近年で言うと、世の中個人事業主ばかりだと税金が徴収しづらいが、社員が多数の会社であればあるほてど安定した税金が徴収出来る。だからみんな仲良くしてより良い社会を共に作りましょう!と管理者側はもっともらしく、また道徳なども混ぜ込んで教育する。この様なことが実は裏側にある本当の理由であると考えています。

みんな仲良くしよう!と言うスローガンの裏にはそういった権力者側の都合も無いとは言えない。

話はそれましたが、孤独に生きにくい世の中ですが、孤独であって良い、と言うか孤独に生きる事の方がむしろ正しいんだと思うと、いろんな事がバッと拓ける、と僕は思います。

ところで、人は生死を賭けた大ピンチに立った時、絶対に誰も助けてくれない。手を差し伸べてはくれないものだと僕思っている。少なくとも僕の過去に起こった大ピンチではそうであった。その様な体験を経て、孤独を肯定的に考えるようになった。と言うか皮肉にも孤独の持っている裏側の「自由」に気づくキッカケになったわけです。

2017年12月10日日曜日

クリスマスの夜はスーパーリコーダーカルテットのコンサートで!

クリスマスの夜はスーパーリコーダーカルテットのコンサート!

来たる12/25 (19時開演)梅田フェニックスホールにて、スーパーリコーダーカルテットのコンサートがございます。
僕が編曲した、クリスマスメドレー他枯葉、ダニーボーイ、オリジナルの永遠の光 などが演奏されます。当日コンサートでの曲が収録されたCDも発売されます。本当に素晴らしいCDに仕上がりました。

また1/14 は上野の東京文化会館にてニューイヤーコンサートもございます。ここでは新作編曲作品もご披露する予定です。
東京方面の方も是非いらして下さい。僕も行く予定です。

2017年11月28日火曜日

恐怖について。

僕が尊敬している人は何人かいますが、そのうちの1人にマイクタイソンがいる。

言わずと知れた元ヘビー級チャンピオンですが、彼の発言は常軌を逸している。
その中でも特に印象に残ってる言葉に、
「人生でどうしても達成したい何かがあるのなら、お前は幸せを捨てる意思を持たなくてはならない。恥の気持ち、内気さ、俺はセンシティブな心をすべて失ってきた。こういったものを捨てなければならないんだ」

誰しも幸せになりたいと思うものですが、確かに何か大きな目標を達成する為に捨てなければならないのは、「幸せ 」かも知れない。

この様な思想は僕の尊敬する人達に共通している。

僕もそろそろその様な覚悟を持つ時期が来ているのを感じる。でなければ何もしないで一生を終える事になる。それはそれで僕にとっては最大級の恐怖。

それは見送り三振ゲームセットみたいなもの。




2017年10月31日火曜日

変な人

僕はどうやら極端なことをする人が常に気になるらしい。

今日もいつも行く居酒屋で、顔半分くらいあるメガネをかけた、40代くらいの女性が近くに座った。こんなデカイメガネは今まで見た事が無いと思えるほど大きい。

彼女はおもむろにに瓶ビールをたのんでいた。瓶ビールをいきなり頼むのは、飲兵衛の証拠。

しかしなんでそんなにもメガネがデカくある必要があるのか?について、ずっと考えた。

しかし本人に聞くこともなく店を出た。

帰りの電車の中でもずっとその事を考えた。


思えば、僕は子供の頃の友達は、ユニークな人が沢山いた。
例えば、全ての成績がオール1 なのに算数だけは常に5のやつ。ヘビを平気で振り回すやつ。喧嘩は絶対誰にも負けないやつ、 出来事と言う漢字をしゅつらいじ、と読むやつ、大学に焼酎をラッパ飲みしながら登校し、あさからベロンベロンの人、などなど。

僕はその人達と仲良くつるんでいたわけですが、今思えば、そんな極端な人に対しての憧れと言うか、どうしてそうなんの?と彼らの行動が気になりつつ、つるんでいた。

なんであなたは算数は天才的なのに他は1なの?
何故ヘビを振り回すの必要があるの?
なんでそんなに喧嘩が強いの?
なんで出来事と言う漢字をしゅつらいじと読むほどバカなの?
なんで朝から焼酎のボトル口にくわえて自転車で投稿してるの?

その様に思った瞬間からその人の事が気になってしかたがなるのです。

僕は昔から一般的な物や事には一切興味がわかない。代わりにいわゆる変な人への憧れはとても強かった。


そんな事を今日もデカメガネのお姉さんがきづかせてくれた。

2017年10月8日日曜日

マイアイドル。

作曲家、武満徹は僕のアイドルでした。

今日、たまたま呼んでもらったジャズのライブで武満さんの「小さな空」と言う曲を演奏することに。

ボーカルとベース(僕)のデュオで始めては?と言うピアニストの勧めでイントロを弾いてみた。歌が始まり全くのデュオのまま曲が進んで行く。

あまりに素朴で、ポップで、優しく、包みこむ様なメロディと歌詞に、思わず演奏しながら少し泣いてしまった。

ボーカルの凄い表現力、ピアニストの粋な計らい。そして最後まで結局一音もたたかなかったドラマー。皆が音楽に集中していた。

彼は現代音楽では、何か厳しい、また日本独特の幽玄を誰よりも巧みに表現した作曲家だと僕は思う。

そんな彼がこんなにポップなメロディで人を泣かせるなんて、本当に彼はズルい!!ズルすぎる(涙)

2017年10月6日金曜日

苦手な事は宝物。

僕は小学生の頃から本を読むのがとても嫌いだった。その理由の一つに、言語能力が人より劣っている事の他、もう一つ理由がある。

僕の父親は、作家になることを目指していましたが、デビューなどはできず、しかしながら広告代理店でコピーを書くいわばプロの物書きだったのです。

父親は、僕が喋る内容が理解出来ないのか、はたまた文法的に変なのかわかりませんが、何時も僕が何か言うと、「なにゆうてるかわからん」と言われた。
また、父は本を斜め読みが出来るみたいで、僕も本は斜め読み出来ないといけないんだ!と小学生ながら思いました。しかし斜め読みしたところで内容がわかる訳が無い。

そんな事で言語能力に苦手意識を持った僕の国語の成績は他とくらべ何時も悪かった。

例えば、「それを指しているのは、どれにあたりますか?三文字で答えよ」みたいな問題を正確した事がない。

そんな事で僕は長く間日本語コンプレックを持ち続けました。

それから何十年と月日が過ぎ、ちょうど厄年に入ったころから、僕は精神的に患い、先が全く見えない時期が長く続いた時期がありました。ちょうどその時期に、今までコンプレックを抱き続けた読書をはじめました。

その時、どうせなら皆が読まない、精神性の高い本を読みたい、それを読む事でこの苦しみから少しでも逃れる事のヒントを見つけられたら、と思いました。

当時、ドストエフスキー、ショーペンハウワー、ゲーテ、三島由紀夫、初期仏教、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教関連の書籍などを読みあさりました。

僕はまさかドストエフスキーなど一生読まないし理解出来っこないと思っておりましたが、ゆっくり亀の様に読めば、全然難しく無いし、夢中で読みました。

それは何よりも、生きるヒントを死にものぐるいで探していたから読めたのかもしれません。

有難い事に、それ以来、僕にとって本を読む事はとても大事な事となりました。

本を読むのが極端に遅いからこそ、読解力が人より劣っているからこそ、ゆっくり味わって読む事が出来る。

苦手な事が幸いする一つの例かも知れません。

2017年10月2日月曜日

蛾の第六感。

蛾の種類の中に メスが極端に少ない種類があり、その種のオスは、何キロも離れたメスを探し当てる能力があると言う。

大阪で言うと梅田にいるオスの蛾が天下茶屋のメスを探し当てる様なものです。

自然界には他にも、鮭の遡上や 渡り鳥など、産まれ故郷を探し当てるという、また葉っぱや木の模様そっくりな虫などもいる。その様な超ハイテクなナビや変身術を備えた動物は少ないない。

これらは、みな種の保存を目的とし、それを果たすべく身に付いた能力と言えますが、、

それにしてもこれは本当に驚くべき事です。

人間だと、地図やナビや羅針盤無しに正確にその場所に行く事はかなり難しいと思う。

しかし何故、その動物達は正確に探し当てる事が出来るのか?

ヘッセの今読んでいる、デミアンには次の様に述べられている。

「種を保存する、と言う強い意志から産まれた第六感がメスを探し当てるのだ。」と。

つまり、強い意志は、想像もつかない能力を育て上げ、第六感をも使い、やがてはその意志の目的にたどり着く、と言える。

最近、僕は意志によっていかようにも変化していけると信じています。
それは、先に挙げた動物達のそれぞれの素晴らしい能力が、明らかに実証してくれていると言えるからです。

ところで、政治家がよく使う言葉に、夢、希望、と言う言葉もある種同義語とも言えなくもないけれども、なんか耳触りが良すぎてもう一つ信用出来ない。意志、と言うのが一番分かりやすいのでは?と思う。