2017年10月31日火曜日

変な人

僕はどうやら極端なことをする人が常に気になるらしい。

今日もいつも行く居酒屋で、顔半分くらいあるメガネをかけた、40代くらいの女性が近くに座った。こんなデカイメガネは今まで見た事が無いと思えるほど大きい。

彼女はおもむろにに瓶ビールをたのんでいた。瓶ビールをいきなり頼むのは、飲兵衛の証拠。

しかしなんでそんなにもメガネがデカくある必要があるのか?について、ずっと考えた。

しかし本人に聞くこともなく店を出た。

帰りの電車の中でもずっとその事を考えた。


思えば、僕は子供の頃の友達は、ユニークな人が沢山いた。
例えば、全ての成績がオール1 なのに算数だけは常に5のやつ。ヘビを平気で振り回すやつ。喧嘩は絶対誰にも負けないやつ、 出来事と言う漢字をしゅつらいじ、と読むやつ、大学に焼酎をラッパ飲みしながら登校し、あさからベロンベロンの人、などなど。

僕はその人達と仲良くつるんでいたわけですが、今思えば、そんな極端な人に対しての憧れと言うか、どうしてそうなんの?と彼らの行動が気になりつつ、つるんでいた。

なんであなたは算数は天才的なのに他は1なの?
何故ヘビを振り回すの必要があるの?
なんでそんなに喧嘩が強いの?
なんで出来事と言う漢字をしゅつらいじと読むほどバカなの?
なんで朝から焼酎のボトル口にくわえて自転車で投稿してるの?

その様に思った瞬間からその人の事が気になってしかたがなるのです。

僕は昔から一般的な物や事には一切興味がわかない。代わりにいわゆる変な人への憧れはとても強かった。


そんな事を今日もデカメガネのお姉さんがきづかせてくれた。

2017年10月8日日曜日

マイアイドル。

作曲家、武満徹は僕のアイドルでした。

今日、たまたま呼んでもらったジャズのライブで武満さんの「小さな空」と言う曲を演奏することに。

ボーカルとベース(僕)のデュオで始めては?と言うピアニストの勧めでイントロを弾いてみた。歌が始まり全くのデュオのまま曲が進んで行く。

あまりに素朴で、ポップで、優しく、包みこむ様なメロディと歌詞に、思わず演奏しながら少し泣いてしまった。

ボーカルの凄い表現力、ピアニストの粋な計らい。そして最後まで結局一音もたたかなかったドラマー。皆が音楽に集中していた。

彼は現代音楽では、何か厳しい、また日本独特の幽玄を誰よりも巧みに表現した作曲家だと僕は思う。

そんな彼がこんなにポップなメロディで人を泣かせるなんて、本当に彼はズルい!!ズルすぎる(涙)

2017年10月6日金曜日

苦手な事は宝物。

僕は小学生の頃から本を読むのがとても嫌いだった。その理由の一つに、言語能力が人より劣っている事の他、もう一つ理由がある。

僕の父親は、作家になることを目指していましたが、デビューなどはできず、しかしながら広告代理店でコピーを書くいわばプロの物書きだったのです。

父親は、僕が喋る内容が理解出来ないのか、はたまた文法的に変なのかわかりませんが、何時も僕が何か言うと、「なにゆうてるかわからん」と言われた。
また、父は本を斜め読みが出来るみたいで、僕も本は斜め読み出来ないといけないんだ!と小学生ながら思いました。しかし斜め読みしたところで内容がわかる訳が無い。

そんな事で言語能力に苦手意識を持った僕の国語の成績は他とくらべ何時も悪かった。

例えば、「それを指しているのは、どれにあたりますか?三文字で答えよ」みたいな問題を正確した事がない。

そんな事で僕は長く間日本語コンプレックを持ち続けました。

それから何十年と月日が過ぎ、ちょうど厄年に入ったころから、僕は精神的に患い、先が全く見えない時期が長く続いた時期がありました。ちょうどその時期に、今までコンプレックを抱き続けた読書をはじめました。

その時、どうせなら皆が読まない、精神性の高い本を読みたい、それを読む事でこの苦しみから少しでも逃れる事のヒントを見つけられたら、と思いました。

当時、ドストエフスキー、ショーペンハウワー、ゲーテ、三島由紀夫、初期仏教、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教関連の書籍などを読みあさりました。

僕はまさかドストエフスキーなど一生読まないし理解出来っこないと思っておりましたが、ゆっくり亀の様に読めば、全然難しく無いし、夢中で読みました。

それは何よりも、生きるヒントを死にものぐるいで探していたから読めたのかもしれません。

有難い事に、それ以来、僕にとって本を読む事はとても大事な事となりました。

本を読むのが極端に遅いからこそ、読解力が人より劣っているからこそ、ゆっくり味わって読む事が出来る。

苦手な事が幸いする一つの例かも知れません。

2017年10月2日月曜日

蛾の第六感。

蛾の種類の中に メスが極端に少ない種類があり、その種のオスは、何キロも離れたメスを探し当てる能力があると言う。

大阪で言うと梅田にいるオスの蛾が天下茶屋のメスを探し当てる様なものです。

自然界には他にも、鮭の遡上や 渡り鳥など、産まれ故郷を探し当てるという、また葉っぱや木の模様そっくりな虫などもいる。その様な超ハイテクなナビや変身術を備えた動物は少ないない。

これらは、みな種の保存を目的とし、それを果たすべく身に付いた能力と言えますが、、

それにしてもこれは本当に驚くべき事です。

人間だと、地図やナビや羅針盤無しに正確にその場所に行く事はかなり難しいと思う。

しかし何故、その動物達は正確に探し当てる事が出来るのか?

ヘッセの今読んでいる、デミアンには次の様に述べられている。

「種を保存する、と言う強い意志から産まれた第六感がメスを探し当てるのだ。」と。

つまり、強い意志は、想像もつかない能力を育て上げ、第六感をも使い、やがてはその意志の目的にたどり着く、と言える。

最近、僕は意志によっていかようにも変化していけると信じています。
それは、先に挙げた動物達のそれぞれの素晴らしい能力が、明らかに実証してくれていると言えるからです。

ところで、政治家がよく使う言葉に、夢、希望、と言う言葉もある種同義語とも言えなくもないけれども、なんか耳触りが良すぎてもう一つ信用出来ない。意志、と言うのが一番分かりやすいのでは?と思う。



2017年10月1日日曜日

ヘッセとの出会い。

これは果たして偶然なんだろうか?と思ってしまう出会いは、誰しも経験があると思います。
例えば、あいつどうしてるんだろうなー、と思っていると、その何年も会っていない友人から突然連絡が入った、とか。

最近僕は意志についてよく考える事がありますが、正にそれについてググッと迫る小説に出会いました。

ヘルマンヘッセは、僕は全く読んだ事も無く、特にどういう作家かも知らなかったのですが、自宅で読む本が無くなったので、妻の本を漁っていると、ヘッセの 車輪の下 とデミアン と言う題名の古い本を見つけた。

まず 車輪の下を読みましたが、これがとても馴染みました。これは、ある天才と言われた少年が町の人の期待を背後に、難関とされる神学校に見事二番で合格するのですが、そこでの生活は規律正しい、また画一的なものであった。その様な生活や信仰に疑問を持ち出した主人公ハンスは、詩人の天才ハイルナーと出会い、彼の持っている思想、知識に大きく影響を受ける。反面、異端児で皆から嫌われているハイルナーと微妙な距離を置く。そしてついに神学校を脱走し、期待していた町の人からは精神病とみなされ、孤独の淵へと自ら進む。

と言った内容。ヘッセは異国で時代も違う人なのに、なぜか考えや物の感じ方が解る部分が多く、それだけにのめり込む。本当に良い出会いであったと思う。

いまデミアンを読んでますが、ここには、意志についてのヘッセの考えが書かれているが、自分が考えていた事がそのまま書かれているのには、ビックリしました。


ヘッセに会ってみたいと思ってしまいます。