2018年2月13日火曜日

怒りについて。

怒りと言う感情のほとんどは自身の価値基準との誤差から生じると思う。

例えば、あいつは挨拶をロクに出来ない奴だ、だからダメだ。となった場合、怒り主は挨拶をするのは当たり前 当然だ!常識だと言う定義を武器に怒る。

しかしその価値基準は全ての人に当てはまるとは限らない。逆に、なんで挨拶しなけりゃならないの?と心から疑問に思う人には、なんでその人が怒っているのかが真に理解出来ないと言う事になる。そいなった場合お互いに不幸な事になる。なぜならば、挨拶の部分さえクリアできればその人と親友になれるぐらいの関係性があるかもしれないのに。

これは極端な例としても、もっと些細な事で言うと、お茶碗は向かって左側、となった場合、じゃ左側キキの人は?となる。

左側キキの人にとっては違和感のあるお茶碗の場所。しかし向かって右側にお茶碗を置いた場合、それは違うと言って怒る人もひょっとしているかもしれない。

思うに、色々な価値基準があるんだな~とちょっと思うだけで、その怒りは半減されるのではないか、と思う。

怒りは、自然な事だと思う。しかしひょっとしたらその人の価値基準の相違なのであって、それは怒るに値する価値があるのかしら?と思う事が、ままよく見かける。

ほとんどの怒りは、価値基準の相違がほとんどではないかと思う。

そうお互いが思うだけでも随分と自身の周りに平和が訪れるのではないかと思う。